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帯の変遷

帯の起こりは、着物を束ねるための紐が、衣服の変化につれ、帯として発達してきたものです。

人類が裸の生活から永い永い年月を経て、衣生活へと移ってゆく過程で、最初に身につけたのが紐だと言われています。

おそらく自分の使う道具などをぶら下げる為の紐だったのでしょうが、「紐衣」 といいます。

日本では「身につける」 意味の「お(凧) ぶ」という言葉があり、ここから今日の「おび (帯)」 という言葉が出てきたのです。

また、「古事記」などでは帯をたらすとよんでおり、神功皇后のオキナガタラシヒメに「息長帯比売」の字をあてており、帯の字をタラシとよんだ理由は、「天足らしたり」などたっぷりしているとの意味で、今日の帯は、結んでお太鼓になる方を、たれと呼んでいることと考え合わせると、 一条の帯にも興味深いものを感じます。

最初の頃は、帯といっても平ぐけの帯で、男女とも幅が狭いものでした。

女物の幅が広くなるのは、江戸も元禄時代の遊女から始まったと言われています。

その帯幅もだんだんと広くなり、ついには1尺5寸にまでなり、その帯幅を二つ折りにしたり、三つ折りして用いましたが、江戸時代末期になって幅9寸、長さ1丈2尺と大体寸法も落ち着き、今日に至っています。

また、帯の結び方も江戸時代の初期には前に結んだり、横に結んだり、また後ろにと、その結び位置が一定しませんでしたが、元緑の頃になってから娘は後ろ、 人妻になると前に結ぶというような、一応の様式が流布し始めます。

帯結びの方法は、 当時の歌舞伎役者達がさまざまの工夫をこらして結んだ、その結び方が流行し、それらが次第に淘汰され、定着して今日に及んでいるものもあります。

 

帯はきものを美しく引き立たせる主要な役割を持つものとしして、また、背面の美という和装独特の美意識から、布地や色、文様への奢り、その結び方にも常にきものとの相関関係を持ちながら追求されてきたのです。

江戸時代、幕府のたび重なる贅沢禁止令によって、きものは地味になる一方で、帯の果たす役割は益々大きくなり、結果、帯は一層洗練され発達をみたのでした。

そして「きものは帯しだい」「きもの一枚に帯三本」「ぼろを着ても錦を巻け」などと云って、かつてきもの世代の女達は、装ううえで帯は第一義的に重要であると考えていました。

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